大里桃子のプロテスト合格についてご紹介します。大里選手のプロテストは1回目は失敗しています。
2017年のプロテストはアマチュアで優勝した勝みなみがあえてプロテストに挑戦した年でもあり大注目のプロテストでした。
そして、翌年2018年2度目の挑戦で合格しました。
大里桃子のプロテストは2018年2度目での挑戦で合格。
大里桃子1回目のプロテストは不合格。
2017年、プロテスト一回目は失敗でした。黄金世代では、勝みなみ、新垣比菜、小祝さくらが合格するなかで大里桃子は不合格でした。
大里桃子が父の前で涙を見せたのは1回目のテストで失敗した時だけでした。
テスト最終日は母の誕生日でした。母親に合格の報を贈り物にしようとしていたが、最後にパットを外して万事休す。
コース内では耐えたものの、車に戻ると、号泣したそうです。父の充さんも、「さすがにこのときは泣くのを許した」と言ってました。
親思いの子の気持ちを抑えつけるわけにはいかないですね。
プロテストに失敗した大里桃子の父・充さんは、「プロになってみんなと競争できるように頑張ればいいんだ」と娘にそう言い聞かせてきたそうです。
そして、「ゴルフ場で泣くな、涙を見せるな」という勝負師としての心構えを父は娘に言い聞かせたのでした。
大里桃子2回目のプロテストは3位で合格。
開催場所:チェリーヒルズゴルフクラブ(兵庫県)
2018年、2度目の挑戦です。7月のプロテストは合格しました。270ストローク18アンダー3位の成績でした。
他の黄金世代のプロテスト合格はこちら
⇒女子ゴルフ黄金世代メンバーのプロテスト合格年一覧。
大里桃子のジュニア時代。
父・充さんは熊本県内のゴルフ場で7度もクラブチャンピオンになっている選手でもあります。
そんな父親のもと、大里桃子は幼少期から活発な子でした。身体能力も高い子で、小学校時代は水泳とバスケットに打ち込んでいました。
運動だけでなく、ピアノも4歳から始め「グレンツェンピアノコンクール」で九州地区優勝を果たしています。
運動以外でも才能があったのですね。
中学校時代は陸上部に入部しましたが、父親のような成績は残せなかったそうです。
それでもゴルフは小学校3年生から初めていたので、陸上よりはどちらかと言うとゴルフに夢中になっていたようです。
大里桃子はハンデ0の父が後押し。
父親の充さんもそんな桃子さんをみながら「プロを目指すのも面白い」と考えていたそうです。
ちなみに、大里桃子プロには兄がいます。兄の名前は「将司」と父が付けたが、兄はまったくゴルフをしないそうです。
それから「桃子」の名前は、ゴルファーに嫁がせたいという父の思いから、タレントの菊池桃子さんにあやかったらしいです。
菊池桃子さんは80年代のアイドルで女優に転向したときにプロゴルファー西川哲さんと結婚しましたからね。(今は離婚をしていますが・・・)
さて、それでは本格的にゴルフに夢中になったのはいつ頃なのか、プロゴルファーに進む前のジュニア時代に父親と親子鷹で突き進んだゴルフの軌跡を見てみましょう。
女子プロゴルファーの中には「父の練習場についていってゴルフを始めました。」とそのような話をよく聞きます。
あの宮里藍さんも父親がゴルフに夢中になっていた影響で幼い時からクラブを握ってはスイングしていましたね。
藍ちゃんが父と一緒にクラブを振っている映像を見たことがあると思います。
では大里桃子はどうだったのでしょうか?
大里桃子の小学生時代
父・充さんは社会人となってからは陸上競技を離れゴルフを始めました。
持ち前の運動神経の良さを生かし競技ゴルフにも出場する腕前になっていました。
そんな父の練習に桃子の兄は全く興味を示しませんでした。
そのかわり、妹の桃子は「私行きたい」っと言って小学3年生から始めたそうです。
ただ小学生時代はゴルフに夢中ではなく、中学2年生になってから状況は変わったようです。
大里桃子の中学生時代。
それまで週に1回しか練習場に行っていなかったのが、中学2年の時に出場した「日本ジュニア」で3位になったのです。
それも最終組で松原由美さんと競っての3位でした。
当時の松原由美さんは女子ジュニアゴルフ界での年少記録を次々と塗り替えて、無敵と言える存在だったのです。
その松原由美さんと週一しか練習をしていない大里桃子が肉薄できたのが本格的にゴルフを行うきっかけになったのかもしれません。
大里桃子の高校生時代。
中学校を卒業後、大里は熊本国府高校に進学します。
ゴルフ部は2009年に創部された新興高でしたが、5年後の2014年には全国高等学校ゴルフ選手権で優勝を果たしています。
この時のメンバーは、大里桃子、田中瑞希、双子の菊池玲花・花音という98年生まれの1年生だけでした。
それで全国制覇を成し遂げたのです。そしてその2年後には、大里桃子はキャプテンとして2度目の全国制覇を果たしました。
高校3年生での優勝は熊本地震で一時避難生活を余儀なくされました。練習も満足にできません。
苦境を主将として乗り越えての全国制覇でした。しかし、それでも舞台の華やかさではライバルには及びません。
日本ゴルフ協会のナショナルチーム入りも果たせなかったのです。
エリートではなく「雑草魂」の高校生でした。
出典:JGA
大里桃子高校時代の3年間。
大里桃子は熊本が好きでした。環境も良く、同級生も強い子がいたし、熊本にはトッププロが沢山いましたからと言います。
なかでも大里桃子が尊敬していたトッププロは「不動裕理」の存在でした。ツアー50勝、生涯獲得賞金は約13億6000万円です。
この郷里の大先輩との間にもある繋がりがあったのです。それは大里桃子が練習する練習場で不動裕理も練習していたそうです。
関係者の話では不動裕理の練習量は半端なく毎日8時間は練習していたと練習場の関係者はお話していました。
大里桃子もこの練習場にはお世話になっているので今では無償でキャディバックに練習場名を入れています。
大里桃子が衝撃を受ける、それは・・・。
それは、勝みなみの史上最年少優勝です。地元熊本空港CCで行われたツアー、2014年KKT杯バンテリンでした。
関連記事⇒勝みなみの優勝。父と母と歩んだアマチュア最年少優勝とプロ初優勝。
15歳293日の鹿児島県の勝みなみが史上最年少優勝を果たした大会でした。
この時の大里桃子は、熊本国府高1年で大会のボランティアとして速報係をしていました。
大里桃子はプロの試合には出たことはありませんでした。華やかであり別世界でした。
そんな世界でプレーする同学年のライバルがうらやましくもあり、悔しくもあったのです。
沖縄県には新垣比菜がいました。
新垣比菜は高2の15年、下部ツアーのラシンク・ニンジニアRKB女子でアマチュア優勝を果たしていました。
レギュラーツアーでも3戦連続トップ10に入るなど大活躍をしていました。
1998年4月~99年3月生まれの選手が「黄金世代」と呼ばれ、注目されるようになっていったのがこのころでした。
まとめ。
大里桃子も父の協力でジュニア時代から多くの試合経験をしてプロゴルファーになるために努力を重ねてきました。
特に後に黄金世代と呼ばれる世代の中には勝みなみや渋野日向子そして畑岡奈紗などの実力派の選手が多くいました。
2回目のプロテストで合格しプロゴルファーとしてデビューそのわずか23日後に優勝を挙げるという輝かしい姿。
いつまでも応援したい選手ですね。
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