原英莉花が師匠のジャンボ尾崎氏の指導を受けプロテストに合格するまでを紹介します。
プロテストは2018年の2度目で合格しました。
1度目のプロテストは2017年でした。
1次そして2次予選を順調に通過したものの、最終テストでは不合格になってしまいました。
飛距離を求めてドライバーのシャフトを本戦の1週間前に替えたことが裏目に出たのです。
練習ラウンドでは何の問題も無かったものの、プロテスト独特の緊張感やアドレナリンの影響からか、左へ大きく曲がって、6つのOBを叩いてしまいました。
それでも、ショートゲームで何とか耐えていましたが、合格ラインには2打及ばずの不合格でした。
原英莉花にとっては、初めて味わった大きな挫折でした。
他の黄金世代のプロテスト合格一覧はこちら
⇒女子ゴルフ黄金世代メンバーのプロテスト合格年一覧。
その甲斐あってか、プロのトーナメントにも何度か出場できるレベルになり、高校3年生で出場した2016年リゾートトラストレディスでは16位タイに入りました。
(それにしても縁ですね。2019年のレギュラーツアー初優勝がこのリゾートトラストレディスなんですよね)
ベストアマ:16位:原英莉花
スコアー | 1R | 2R |
---|---|---|
140(-4) | 71 | 69 |
(※競技短縮)
はじめてのベストアマに輝いた瞬間でした。
このころから、ジャンボ尾崎プロの弟子として、メディアからも注目を浴びていましたが、原英莉花がゴルフの面白さを感じたのは高校を卒業後からです。
ゴルフに集中できるようになったこともありますが、メンタル面と技術がリンクするようになってきたのが大きかったようです。
以前はボギーを叩くと次のホールでもまたボギーを叩くのではないかという不安に襲われたが、・・・
ショット力が向上したことで、たとえボギーを叩いても次のホールではバーディを奪えるようになった原英莉花がいました。
プラス思考になることで、さらに集中力が増し、バーディを奪う確率も上がってきました。
原英莉花にとっては、ジャンボさんのご子息智春さんがキャディ兼コーチを務めてくれることも大きいと思います。
ジャンボ尾崎プロからのアドバイスを受け、その意図を理解できなかったとき智春さんがかみ砕いて教えてくれるからです。
しかも、それ以外の時は、なるべく彼女自身に考えさせようとして適度な距離感を保っていることもプラスに働き結果が出始めていました。
(ハラ エリカ)
原英莉花プロは2018年の7月、2度目のプロテストで合格しました。
現在、身長173センチ、体重58キロとスリムな原英梨花だが、小学生のころは骨太で、もう少しがっちりとした体形だったそうです。
身長も常にクラスで1、2番でスポーツ少女として活発な幼少期を送っていました。
と言うことでもなかったようで、小学生時代は塗り絵で遊ぶのが好きな少女でした。
原英莉花には10歳上の兄がいます。
学生時代はテニスをしていた運動神経抜群な兄です。彼女も挑戦しましたがボールが上手く当たらずふてくされていたようです。
テニス以外も挑戦しましたが、運動神経が良い兄と比べると自分のできなさに嫌気が差し、自然とスポーツから距離を置くようになっていきました。
それでも身体を動かすことは嫌いではなかったと本人は言っています。学校の昼休みには、竹馬や一輪車で遊ぶのが好きだった少女時代でした。
特に一輪車にはまり、放課後も一人でペダルを漕いでいました。
そんな娘の姿を見た母親が、やはり何かスポーツをさせた方が良いと思い、原が10歳のときに挑戦させたのがゴルフでした。
とりあえず練習場には母と一緒にいきますが、うまく打てないと悲しい気持ちになるので、黙ってみていたようです。
でも、なんとなく自分でもうまく打てるのではと思ったそうで、母親からも英莉花も打ってみる?という言葉で打つようになりました。
しかし、手にしたクラブはなんとなんと!パーシモンのドライバーでした。もちろん、チタンのデカヘッドドライバーが全盛の時代にですよ。
実は原英莉花の母親は腰を痛め、しばらくゴルフから遠ざかっていたのです。
何とかして愛娘にゴルフに興味を持ってもらおうと、わざわざ物置の奥からゴルフバックを取り出してきたのです。
その思いが通じたのか、見よう見まねのスイングにもかかわらず原英莉花のファーストショットは見事にフェースの芯でボールをとらえることができたそうです。
原英莉花はその時、「初めてスポーツで褒められたので、とてもうれしいかった」と言っています。
それ以来、放課後になると練習場に通う日々が続きました。
半年後には、コースデビューを飾りますが、まだ狙ったところにボールを打つだけの技術はなく、ホールをジグザグに走り回るラウンドだったようです。
それでも、プレーするのが楽しかったようで、翌年にはジュニアの競技に出場するようなレベルになりました。
競技ゴルフの楽しさも経験し充実したゴルフライフでした。このころには何となくプロゴルファーになるんだろうなと思っていたようです。
2015年1月4日、運命の日が来ました。それは、師匠である尾崎将司こと“ジャンボ尾崎プロ”との出会いです。
このときは、原英莉花よりもジャンボ尾崎プロの方が衝撃を受けたそうです。少し時計を戻してみましょう。
前年(2014年)の8月に原英莉花はジャックバニージュニアチャンピオンに出場して3位に入りました。
ジャックバニーはジュニアゴルフに力を入れており2016年プロテストに合格し2017年、樋口久子 三菱電機レディスゴルフトーナメントで優勝した永井花奈も出場していました。
大会は、チーム芹澤がサポートしており、原英莉花のゴルフが芹澤名人の目に留まり高校生離れしたショットに驚いた名人は早速、親交のあったジャンボ尾崎の息子・尾崎智春に連絡したのでした。
「身長が高くて物凄いパワフルな子がいるよ」・・・と。
当時、スポーツマネージメントをしていた智春さんにとっては十分すぎるほど興味深い話でした。
芹澤名人らと話し合った結果一度ジャンボ尾崎プロのところに連れていこうという流れになったようです。
この芹澤名人の判断も原英莉花のゴルフ人生が変わるキッカケだったかも知れません。でも本人には分からない事でした。
彼女はまだ高校1年生だったのですぐには実現しませんでした。半年後の冬休みにようやくジャンボ尾崎と対面することになりました。
年が明けて間もないこともあり、ジャンボ邸にはトレーニングに励むプロの姿はなく、だだ広い練習場に智春さんと原英莉花の二人が立っていました。
“尾崎智春”ちょっと走ってきたら・・・
ウオーミングアップも兼ねて、智春さんがそう促すと、素直に従った原英莉花だが、内心はホットしたそうです。
どうやら、ジャンボ尾崎さんの実績や、どのようなプロゴルファーだったのか自分で調べ把握していたのです。
でも、それ以上に怖い人だろうなという先入観があり、このままずーと走っていたいと思ったそうです。
すると、程なくしてジャンボ尾崎プロが練習場に現れました。
“ジャンボ尾崎”おい、いつまで走ってるんだよ。
原英莉花にとって安堵の時間はあっさりと終わってしまいました。
改めて自己紹介をしましたが、そっけない返事しか戻ってきません。
“ジャンボ尾崎”おれは女子を知らないんだよ!
これまで何人かジャンボ軍団と一緒にトレーニングや練習をしていた女子プロはいました。
しかし、ハードなトレーニングについてこれない選手がいたのも事実です。
思うようなレベルに達しなかったことで、ジャンボが認めるだけのポテンシャルを持った女子プロはほとんどいなかったようです。
原英莉花にしても、智春さんから頼まれたからで、そこに期待という二文字は存在していませんでした。
そんな雰囲気を察したのか、原英莉花は素っ気ない態度のジャンボ尾崎プロに対して恐怖心を覚え、いたたまれない気持ちに襲われました。
その時は、・・・
なんで私がここへ連れてこられたんだろうか?って思っていましたから・・
そう自問自答するしかなかったとは言え、ジャンボ尾崎プロの指示に従うしかなかったのです。
まずは9番アイアンでひたすらボールを打ち続けていました。するとそれを見ていたジャンボは、しびれを切らしたのか、こう声を掛けたのです。
“ジャンボ尾崎”短いのはもういい、ドライバーを打ってみろ。
いわれるがまま、ドライバーを手にします。
原英莉花は渾身の力を込めてボールを打ちました。その瞬間、その場の空気が明らかに一変したのでした。
百戦錬磨のジャンボ尾崎プロにしてみれば、ドライバーショットが描く軌跡の先に原英莉花の未来像が見えたのかもしれません。
すぐに智春のところへ駆け寄っていき、驚きを表現しました。
“ジャンボ尾崎”おい、今まで見てきた女子の中で断トツにすごいぞ!
自分の父親が珍しく興奮している姿に驚いた智春さんですが、ジャンボ尾崎プロは原英莉花の後ろにイスを用意し、じっくりと練習を見守り続けていました。
原にしてみれば、そんなことは一切知らず、ただひたすらにボールを打つだけでした。
練習後、思い切って、・・・
“原英莉花”また来てもいいですか?とジャンボに尋ねた際、
“ジャンボ尾崎”いつでもきていいぞ・・と言ったそうです。
その後、毎週日曜日に原英莉花はジャンボ尾崎プロのところへ足を運ぶようになりました。そして、ジャンボ尾崎プロの指導が始まるのです。
原英莉花のそれまでのスイングは上体の捻転が無く、体重移動も小さかったので、ボールにパワーが伝わらず、球質も軽かったようです。
どちらかといえば、インパクトでヘッドをボールに合わせるような打ち方でした。そのスイングを180度変えていく作業が始まりました。大改造の始まりです。
ダウンスイングではしっかりタメを作り、ボールの上からクラブを下ろす。左足下がりのライからもクラブを振りました。
すると・・・
明らかに打球が力強くなり、自分でも手ごたえを感じることができたようです。高校2年生になると、日曜日だけでなく、夏休みなどの長期期間にも顔をだすようになりました。
プロトーナメント2018年8月のニトリレディスでは今季自分自身最高の3位タイに食い込みました。
ジャンボ尾崎プロが叶えられなかった世界制覇の夢を自らの手でつかみた取りたいと言い切ります。
もちろん今の状態から更なるレベルアップをしなければ目標とするステージにはたどり着けないのも事実です。
そのことは原英莉花自身も十分把握しており、最低でも5年間はジャンボのところでみっちりと鍛えるつもりで取り組んでいます。
プロテスト合格を勝ち取った選手は自分のプロフィールを提出するのだが、原英莉花は師弟関係の欄に誰の名前を書くのかを迷っていました。
ここにジャンボさんの名前を書くのもどうかなと思ったのです。失礼にならないかなって・・・
でも、やっぱり私の師匠はジャンボさん。
だから思い切って聞いてみたんです。ジャンボさんの名前を書いていいですか?って。
そしたら快諾してくれました。ホットしました(笑)
確かにLPGA公式サイトにある原のプロフィールは「尾崎将司」の名が刻まれています。
ゴルフ歴
10 歳~
師弟関係
尾崎将司
ジャンボの弟子であることを公にできたのは、彼女がその力を認められた証しでもあるのです。
原英莉花の2018年QTランキングは117位でした。
しかし、リランキングで上位に食い込みながら戦いの場を自らつかみ、最終的にはレギュラーツアー23試合に出場しました。
最高位は3位タイでした。
トップ10入りも5回と限られた試合数で約2900万円を稼ぎ初シードをつかみました。
2019年は全試合に出場できます。
順風満帆にプロゴルファーとして出発した原英莉花です。
オフシーズンもジャンボ邸でハードなタイヤを引きながら“砂の上をダッシュ”で体力強化をしていくことでしょう。
原英莉花プロが高校生時代に通っていた「ジャンボ邸」には約20名のジュニアがジャンボ尾崎プロからの指導を受けています。
ジャンボ尾崎プロ自身が造り上げた練習施設では、ジャンボ軍団やジャンボを慕うプロの面々、そして原英莉花プロに続くジュニア達がいます。
ジャンボ尾崎プロは、2017年秋にジャンボ尾崎ゴルフアカデミーを設立しました。
2018年の8月にはNPO法人「JUMBOスポーツ・ソリューション」(尾崎智春理事長)の設立を事務所が発表しました。
尾崎智春さんはジャンボ尾崎の息子さんで原英莉花プロを発掘した人です。
ジャンボ尾崎プロはジュニア達が来ることに「こいつらが勝手に来ているだけだよ。おれは何もいってないよ」と取材にくる記者達にジャンボ節で応答しています。
意外に(失礼ですが)褒め上手で来ている女子高生への熱血指導は嬉しそうに行こなっているようですよ。
でも、愛弟子の原英莉花プロは未だジャンボさんからは褒められていないそうですよ。
原英莉花をほめる時はレギュラーツアーで「初優勝」した時なんでしょうか?。
(※2019年は1勝、2020年は2勝しました。2021年は1勝)
プロテスト合格後、ルーキーの挑戦である2018年賞金ランキングは38位と立派な成績を残しました。
でも、原英莉花の視線はもっと先を見ているようです。
原英莉花のコメント
来季のシード権を獲得したら思い切って賞金女王を狙ってみたいです。将来的には米ツアーで戦ってワールドランキング1位になるのが目標です。
類いまれなセンスと努力、それに師匠の教えが加われば壮大な夢を実現できる可能性は十分あるでしょう。
今、世界で活躍している黄金世代の畑岡奈沙は中嶋常幸の指導を受けて育った選手です。
ジャンボ尾崎対中嶋常幸の戦いは、黄金世代の女子プロゴルファーに受け継がれています。
この視点で女子ゴルフツアーを見ると益々興味深くなります。
エンジョイゴルフ!!原英莉花プロに注目して下さい。